画家で活躍されていた落合皎児さん。
2024年4月に自宅が発生した火災が原因でお亡くなりになりました。
どのような人物だったのでしょうか。
そこで今回は、
落合皎児のwiki経歴!家族構成は元妻と子供2人の4人だった!
についてまとめました。
落合皎児のwikiプロフ
- 名前:落合 皎児(おちあい こうじ)
- 生年:1948年
- 享年:76歳
- 出身:長野県
- 職業:版画家
落合皎児の経歴
落合皎児さんの経歴について、調査しました。
1968年(20歳):スペイン王立サンホルヘ美術大学に入学(バルセロナ)
20歳の時に、スペインの「サン・ホルヘ美術大学」で美術を学びます。
その後は、スペインと日本を行き来しながら、国内外で多くの個展を開き活躍をされていました。
1977年(29歳):創形美術学校 版画研究科 卒業(日本)
29歳の時に、日本の創形美術学校を卒業しました。
版画にさらなる磨きをかけた時期だったのかもしれませんね。
1978年(30歳)~:スペイン王立応用美術アカデミー石版画科講師 (バルセロナ)
30歳からは、バルセロナで画家の講師を務めていました。
日本の美術学校を卒業した翌年に就任しますので、
落合皎児さんの画家の実力は当時からとても高い評価を受けていた可能性が高そうです。
また36歳の時には、バルセロナのナルテックス画廊版画工房で主任を務めました。
1985年(37歳):長野県社会保険協会、長野調理専門学校、北条保育園講師
落合皎児さんはバルセロナだけでなく、日本でも講師を務められていました。
スペインだけでなく、日本での評価も高かったようです。
1989年(41歳):スペイン150人作家のひとりとして選出登録
41歳の時に、ピカソやミロといった世界的に有名な画家と並ぶ「スペインの画家150人」に選出されました。
落合皎児さんのスペインでの活躍が認められた瞬間だったのではないでしょうか。
またこの頃もスペインと日本を行き来しながら活動を続けていました。
日本では、カルチャースクールの油絵講座もされていたようです。
カルチャーセンターの油絵講座の講師が落合皎児さんだった。
引用:スレッド
2024年(76歳):死去
2024年4月に自宅の火災で、落合皎児さんはお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
落合皎児の家族構成
落合皎児さんの家族構成は4人でした。
- 元妻(故人)
- 長男
- 次男(故人)
妻(故人)
こちらが落合皎児さんの奥さんです。
かなりの美人ですね。
スペインや日本で結婚生活を送り2人の子供をもうけますが、
落合皎児さんは酒浸りの生活で性格が変わりものだったこともあり幸せな生活を築くことができませんでした。
そうしたことが原因で、日本に帰国後に離婚。
この経験が奥さんの心を病む結果となり、最終的には孤独死という最期を迎えたそうです。
長男
落合皎児さんの長男は、「落合陽介ギフレ」さんです。
- 名前:落合陽介ギフレ
- 年齢:44歳(2024年11月)
- 出身:スペインのバルセロナ
- 学歴:早稲田大学卒業
- 職業:映像ディレクター
これまで手掛けた番組としては
- 「激レアさんを連れてきた。」
- 『アルピーテイル』
があります。
長男の落合陽介ギフレさんは、父親の変わりものだった性格に嫌気がさしたのか12歳の時に家を飛び出し、寮で生活をしていました。
家族を振り回した父親に対して複雑な思いを抱えていたようですが、
父親の死後、落合陽介ギフレさんは「芸術家としての父親のことを知ってもらいたい」との想いから追悼展を企画しています。
次男(故人)
こちらの赤ちゃんが次男だと思われます。
長男とは一回りほど離れているのではないでしょうか。
次男は20歳の時に自ら命を絶っています。
落合皎児のSNS
落合皎児さんのSNSのアカウントをご紹介します。
アカウント名:落合 皎児
インスタ
アカウント名:koujiochiai1948
まとめ
落合皎児のwiki経歴!家族構成は元妻と子供2人の4人だった!についてまとめました。
- スペインや日本で画家や講師として活動をしていました。
- 家族構成は、元妻と子供2人の4人家族でした。
- SNSはインスタとfacebookにアカウントがあります。
落合皎児さんやご家族についてテレビ番組「ザ・ノンフィクション」で3週にわたって放送されます。
とても興味深い内容になりそうですね。
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